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Radosti i pechali malenkogo lorda 小公子 (2003年版)

ロシア映画 (2003)

「小公子」の、異色とも言える改変作。原作のほぼすべてのエピソードを、何らかの形で変えている。それもかなり意図的に。それでも、全体を通して観た時に、あまり違和感を覚えないのは、セドリックを演じるAleksey Vesyolkinが飛び切り可愛い子役だからだろうか? そもそも、子供が主役の文学作品の映画化、という視点で見ると、「オリバー・ツイスト」に代表されるように、「常に原作に忠実」な映画化の行われる場合と、「ねじの回転」に代表されるように、「大胆な変更が常識」になった映画化の行われる場合に二分されるように思われる。それは、原作に対する愛着度の高さと、内容の普遍性にあるのではないか。オリバー・ツイスト、トム・ソーヤ、ハック・フィンのように読者に愛された物語は、大胆に変えてしまうと誰も見に来ないかもしれないし、内容がかなり特殊なので変更を加えても細部に留まってしまう。一方、ねじの回転は、保護者から無視された2人の兄妹と家庭教師との間の「ねじれ」た関係を描いたもので、枠組みが単純なだけにどのような描き方も可能となる。「Presence of Mind」(1999)のようなスペイン映画ではスペイン風にアレンジされ、「La tutora」(2016)のようなアルゼンチン映画では場所も庭園からジャングルへ、そして、途中から結末まですべてが変わってしまう。これらの映画では、「The Turn of the Screw」という原題すら使っていない。「小公子」は、その特異な設定から、内容に普遍性は全くないが、このロシア版では、その制限の中で精一杯、新たな展開を驚かせ、楽しませてくれる。この映画の存在がほとんど知られていないのは、非常に残念なことだ〔IMDbの評価に対する投票数は、封切16年後の2019年で僅かに41票〕

ブルックリンに住む 「貧しいなりに、きちんとした生活を送っている」母子のもとに、突然イギリスから弁護士がやってきて、「正規の跡継ぎが息子を持たずに死んだので、伯爵の跡継ぎに」と突然切り出す、誰でも知っている導入部から始まる物語。原作小説の中には、キーとなる心をくすぐる会話がいくつもちりばめられている。しかし、このロシア版の「小公子」では、そうしたお決まりの台詞は無視し、如何に原作と「似て否なる」作品に仕上げるかに全力が注がれている。観終わった後には、「小公子」を観たという強い印象が残るが、それは、子供の頃に読んだだけで細かいことは忘れてしまっていて、映画を観て、それなりに筋がきちんと通っているので、これが「小公子」だと思ってしまうからなのかもしれない。1936年版の「小公子」の紹介では、原作との違いを細かく分析していったが、この2003年版の場合、そんなことをしても意味がない。同じようなストーリーを、原作の縛りをほとんど外して再構成したため、違っている場所ではなく、似ている場所を捜すのすら難しいほど 両者は違っているからだ。セドリックがイギリスにある城に移ってから、①伯爵との会見、②その後のディナー、③小作のヒギンズ、④乗馬、⑤足の不自由な子、⑥パーティの代わりの食事会、⑦爵位継承詐欺、⑧ホッブスの救援、などのポイントは抑えているため、原作との逸脱はないように見えて、その細部は原作と全く違えている。原作が、文学作品として特に優れている訳ではないので、どう変えても、変え方さえ良ければ、観ていても苦痛はない。私は、4つある「小公子」の中で、別格の1936年版を除き、2番目にこの作品が好きなのは、思い切りの良い脚本と、何といっても、セドリックの抜群の愛らしさに軍配を上げるからだ。

Aleksey Vesyolkin(Алексей Весёлкин)は1990年8月15日生まれ。撮影時何歳だったかは不明。正確な発音もアレクセイ以外は不明。子役時代、映画に出たのはこの1本だけで、いきなり主演。全体に台詞の少ない映画なので、可愛らしさだけで選ばれたのかも。フレディー・バーソロミューは別格とすれば、一番 小公子らしい少年。


あらすじ

映画は、雷鳴の轟くドリンコート城から始まる。伯爵家の次男セドリック〔将来生まれる息子と同じ名前〕が、中庭に待ち受ける馬車に乗ろうとしている。2階のバルコニーからは、伯爵が「もう、何も言わん、セドリック。正気に戻れ」と最後通告するが、セドリックは、「私は、大人です。決心しました、父上」(1枚目の写真)と考えを変えない。伯爵は、「わしは、もう 父ではない」と宣告すると、バルコニーから姿を消す(2枚目の写真)。セドリックは、見送りにきた執事のジェームズに、「チャールズ〔兄〕は 見つかるかな?」と訊く。「難しくは、ございません。いつも、飲み屋に おられますから」。セドリックは執事を抱くと、生まれ育った城から出て行く。彼が手にしたロケットには、若い女性の絵が描かれている〔小公子セドリックの母〕。原作では、セドリックの父は三男だが、この映画では2人兄弟。城からの出奔シーンも 原作にはない。
  
  

次男は、永久(とわ)の別れをしようと、ロンドンの酒場にいる兄を訪ねていく。セドリックを見た兄は、既に酔っ払っているので、「アメリカに旅立つ弟に、乾杯しよう。弟は、そこで、アメリカ人の女性と結婚する。可愛い、アメリカ娘とな」と、そこにいた連中に話す。「だが、優しい親父殿は、相手がアメリカの平民だと聞いた時、わが弟を勘当してしまった」と余分なことまでペラペラとしゃべる。侮辱されたと感じたセドリックは、酒場から出て行こうとする。「落ちつけよ、セディー。なあ、俺を 許してくれ」。「また 飲んでるね、チャールズ」。「ああ、飲んでるさ。それが どうした?」。そう言うと、酒場の隅で寝ていた写真屋を起こし、「俺と弟の写真を撮れ」と言って、セドリックをカメラに向かせるが、「寂しくなったら、写真を見て、お前を思い出すよ…」の次に、「バカ者を」と付け加えたので(1枚目の写真)、セドリックは何も言わずに立ち去る。それを見た、あばずれ女のミナが、長男に寄って来る。「ミナ、俺が一番やりたいことが分かるか? お前と写真を撮ることさ」。そして、2人は並んで写真を撮らせる(2枚目の写真)。ここも、原作にはない。
  
  

そして、7年後。ドリンコート城では、執事のジェームズが、長男とミナの写った写真を手に、「この古い写真があって本当に助かった。ここ数年のお姿ほど、ひどくないからな」と言いながら、召使に見せている。背後には、画家が、その写真をもとに描いた肖像画を壁にかける作業が行われている(1枚目の写真)。「チャールズ卿のアルコール浸りといったら… こんな、お若くして亡くなられるとは」。その時、伯爵の愛犬ドゥーガルが、画家に飛びかかろうとして、伯爵に「戻れ!」と止められる。かなり獰猛な犬だ。部屋から出てきた伯爵は、壁の絵を見て、「ジェームズ、画家に謝礼を」と命じる。部屋の扉の右側には、これまで次男セドリックの絵が架かっていたが、それに、長男チャールズの絵が左側に加わり、子供が2人とも亡くなってしまった。そこに、兄のことを心配したロリデイル夫人が現れる。「素敵な肖像画ね」。「本当は、騎馬姿が似合っとる。酔って落馬して首の骨を折ったんだからな」。伯爵は辛辣だ。「両方の息子を亡くされて、まだ、そんな悪態を。人間らしさを、お持ちになって。セディーが死んだ時だって、あなたは、一言も褒めなかった」。「忘れてはおらんぞ。氷の海から如何に乗組員を救い、船長の本分をまっとうしたか」(2枚目の写真)。原作では、英国陸軍大尉の地位を売ってアメリカに行くのに、映画では船長として勇敢に死んだことになっている。いぜれにせよ、この部分も映画の大胆な創作。このあと、アメリカでのセドリックの話になるが、それも原作とはかなり違ったものとなっている。
  
  

19世紀の末のブルックルンの写真を見ると、3階建の煉瓦の建物がずっと並んでいるイメージだが、映画のセットは、1,2階建の不揃いな建物がほとんどなので、もっとずっと田舎の町のイメージだ。そこに、弁護士のハヴィシャムが現れる。彼は、靴磨きの少年の台に靴を載せる。その少年は、何とセドリックの親友のディックだ。すると、そこに、籠に生まれたばかりの子猫を入れた少年がやってきて、仕事中のディックに、「この猫 全部売らないと、牧師さんが教会に入れてくれない」と声をかける(1枚目の写真、矢印の籠の中は子猫)。そして、お客さんのハヴィシャムを見上げて、「1匹、いかがです?」と訊く(2枚目の写真)。この可愛い少年が、何とセドリック。原作と違って服装もラフだし、そもそも、家に呼ばれて会うはずが、こんなに早く会っている。しかも、子猫も原作には登場しない。セドリックが去った後、ハヴィシャムはディックに、「10セント稼ぎたくないか?」〔概算で、今の300円〕と尋ねる。「10セントのためなら、何でも」。「セドリックを知らないか? 音楽を教えてるノラさんの子の」〔ノラという名前も創作。原作には、大尉の名からエロル夫人としか書かれていない〕。「10セント、いただきでさぁ」。ディックは、恐らく、さっきの子がセドリックだと教えたのであろう。
  
  

セドリックは、ホッブスさんの店に行く。原作と違って、そこには30歳くらいの助手もいる。セドリックを見たホッブスは、「アブラハム、わしと 友達のセドリックにクランベリー・ジュースを」と言う。セドリックは、さっそく、「あなたに、とてもイイ話があります。これ、どれも2セント〔60円〕です」と子猫を売ろうとする。助手のアブラハムは、「店には、子猫は要りませんよ、ホッブスさん。ネズミ捕りが ありますから」と、予防線を張る。セドリックは、「ネズミ捕りだけじゃありません。黒い子は、商売に幸運をもたらします。こっちの、灰色縞の子は健康を。この 胸の白い子は、とても貴重で…」と言うと、籠からつまみ出し、「心が安らぐんです」とセールス(1枚目の写真)。「大きくなったら、立派な雄猫に。『侯爵』って名前もいいかも。それとも『伯爵』とか」。ホッブスは、「気は確かか?」と 強く否定する(2枚目の写真)。原作では、ホッブスが読んでいた新聞の記事が発端だが、それを猫の名前にするとは大胆な変更だ。その後のホッブスの言葉だけは、原作にかなり忠実。「セドリック、伯爵の奴らを知ってるのか? この店に来たら、樽にだって腰掛けさせてやらんぞ」。すると、そこに何と、来店しているハヴィシャムの姿が映る。アブラハムはハヴィシャムに、「口癖なんです」と説明する。「奥さんがイギリス人で、夜逃げしたんです」(3枚目の写真)。ホッブスは、さらに悪口を並べる。「イギリス兵は、どいつも臆病だ。そうなったのも、伯爵やら何とか卿どもを、のさばらせとくからだ! わしの猫に、そんな恥知らずな名を付けたら、臆病で惨めな猫になっちまうぞ」。それでも、ホッブスは1匹買ってくれた。この時点で、ハヴィシャムは、目の前にいるのがセドリックだと知っていたかどうかは不明だが、彼がホッブスの店に入る理由は他にないので、ディックから「さっきの子猫を持った子がセドリック」だと聞き、御曹司の様子を見に来たのだろう。
  
  
  

夕方も遅くなり、セドリックが空になった籠をかぶって雨の中を走り、りんご売りのおばさんの露店が まだ開いているのを見て立ち寄る〔売っているのはりんごだけではない〕。セドリックが、「牧師さんの猫、全部 売れたんだ」と嬉しそうに言うと(1枚目の写真)、おばさんは、「りんごを持って 走ってお帰り。ずぶ濡れになる前に」と言って、りんごを1個くれる(2枚目の写真、矢印はりんご)。それにしても、雨にぬれた果物って売り物になるのだろうか〔なぜ、店をたたむか、シートをかけて保護しないのだろう〕? セドリックは、そのまま家まで走って行く。
  
  

セドリックは籠に加え、体をすっぽり布で覆っていたので、思ったほどは濡れていない。心配した母に、「ママ、お話することがあるの」と話しかけると、食卓テーブルに座っている男に気付く。母も、「お話があるの」と切り出す。「ハヴィシャムさんは、イギリスから来られたのよ」。セドリックは「イギリスから?」と驚く(1枚目の写真)。ハヴィシャムは、「牧師さんの子猫は、全部売れましたか?」と尋ねる。「ええ、1匹 2セントで」。「もし よろしければ、一つ伺いたいことが。将来の夢は?」。「アメリカの大統領になること」。この台詞は、状況は異なるが原作にもある。母は、「この方は弁護士で、あなたを、イギリスに連れて行くために来られたの」。「どうして? 行きたくないよ。あっちには、『伯爵やら何とか卿ども』がいるんでしょ?」。原作と違い、ハヴィシャムはホッブスとの会話を聞いていたので、反応が早い。「おっしゃる通り。その『伯爵』の お一人がお祖父様で、『何とか卿ども』の お一人があなた様です、フォントルロイ卿」。「ボクが?」(2枚目の写真)。当然、セドリックは反撥する。「だけど、ボク、なりたくない!」。母は、「すごく、名誉なことなのよ。お父様も、喜ばれるわ」と宥め、ハヴィシャムは、「莫大な財産の後継ぎにもなれます」と別の特典をあげるが、セドリックは、「ママ、ボク一人では、どこにも行かないから」と突っぱねる。「もちろん、お母様も ご一緒です。お2人とも伯爵領に住まわれ、あなたは お金持ちですから、何でも買えます。世界中の子猫を10年間にわたってでも」〔1匹2セントだと73ドル〕「あなたの、お祖父様の熱意が納得できて おられないようですから、さっそく、明日から始めましょう。あなたの自由に裁量できる お金を使ってできることを」。この部分の会話は、原作に比べて非常に短い。しかも、ほとんどハヴィシャムが話している。
  
  

そして、数日後、りんご売りのおばさんの露店に、庇と棚が取り付けられる(1枚目の写真)。おばさんは、「坊やのこと、祈ってるわ」と感謝し、セドリックの頭にキスをする(2枚目の写真)。
  
  

セドリックが牧師の一家にお別れを言っていると、路上ではホッブスがディックに、「こんな顛末、誰が予想できただろう?」と話している。「山ほどのお金なんだろ、ホッブスさん。セドリックは、僕らを忘れちゃう」。「まさか」。「そうさ」。ここで、セドリックが割り込む。「違うよ、ディック。君こそ仕事の方は大丈夫かい? ボクがいなくなって」。映画のディックは、原作より幼い。ホッブスはセドリックに、「頑張れ」と声をかけ、ディックは、「ほんとの友達がいるってこと、忘れるなよ」と言う(1枚目の写真)。このあたりの構成は原作と全く違っている。半分だけ似ているのは、セドリックが渡す お別れのプレゼント。ホッブスには懐中時計を渡すが、ディックに渡すのは「立派な靴みがき台」ではなくハーモニカ(2枚目の写真、矢印)。時計の蓋の裏に刻まれた「別れの言葉」もない。そして、2人〔女中のメアリーもいない〕はハヴィシャムと一緒に旅立って行く(3枚目の写真)。Y字路の角がホッブスの店。
  
  
  

その直後、セドリックたちの乗った船の古写真が映るのだが(1枚目の写真)、これは絶対におかしい。なぜかと言えば、原作は1885年頃の話。ところが、この船は、1917年にアメリカがドイツから買い取った「SS Leviathan」(2枚目の絵)であることが、3本の煙突、煙突上部の白線によって特定できるからだ。ちなみに、当時の豪華客船の多くはタイタニックのように4本煙突。この船は54,282トンもあるが、1884年に就航した当時最新鋭の「RMS Umbria」は蒸気帆船で7,718トンしかない。次のシーンは、伯爵領に向かう馬車の中で、母が、「セドリック」と話しかける。「はい、ママ」。「もっと前に話すべきだったけど、ここには特別なルールがあるの」(3枚目の写真)。母が、どう説明しようかと迷っていると、ハヴィシャムが、「よろしいですか、閣下。要点を申しますと、母君とは 別れて暮していただきます」と代わって説明する。セドリックは、「どういうことなの、ママ?」と不安になる。母:「心配しないで」。セドリック:「もし、ママと別れて暮せと言うなら…」。ハヴィシャム:「母君と会えないなどと、言いましたか? すぐ近くに住まわれます」。母:「お祖父様の ご配慮よ」。原作では、説明は母がすることになっている。
  
  
  

馬車は、母が住む予定のロッジに到着する(1枚目の写真、矢印は出迎えた2人。階段に比べて小さいので、ロッジが見た目よりは大きいことが分かる)。出迎えたのは、女中頭のメロン夫人と女中。メロン夫人は 城の女中頭なので、挨拶に来ただけ。女中の方はロッジに常駐する。母に続いて降りたセドリックを見て、メロンは、「何て 素敵な目なんでしょ」と喜ぶ。「今日は、閣下」。「ミス、それとも、ミセス?」(2枚目の写真)。「ただのメロンです」。原作では、メロンはロッジまで来ない。「ミス、それとも、ミセス?」は、セドリックが自分付きの女中に問いかける言葉。挨拶を済ますと、セドリックは再び馬車に戻り(3枚目の写真)、ハヴィシャムと、そのまま城に向かう。原作では、セドリックはロッジに一泊し、その間にハヴィシャムが伯爵に報告に行くが、そうした場面はすべてカット。
  
  
  

馬車の正面に立派な城が見えてくる(1枚目の写真)。ただし、この様式は、どう見てもイギリスの城とは違う。あちこち探し、そうやく撮影場所がみつかった。場所は、チェコ南部にあるHluboká城(2枚目の写真)。19世紀にウィンザー城を真似て全面改修されたそうだが、どう見ても似ていない。確かにネオ・ゴシック様式なのだが、真っ白な石を使っているので違和感があるのだろう。セドリックが正面扉から入ると、ずらりと召使が並んでいて、一斉にお辞儀をする。セドリックは近づいていくと、「初めまして」と言い、アメリカ流に握手の手を差し出す(3枚目の写真)。そして、全員と握手する。その時、正面の階段に執事のジェームズが現れる。立派な錫杖を持っているので、伯爵と勘違いしたセドリックは、走りよって抱きつくと、嬉しそうに顔を見上げる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

驚いた執事が、「閣下、伯爵様が書斎で お待ちです」と言ったので、セドリックは間違いに気付く。執事は、セドリックを2階へと案内する。非常に立派な建物で内部の保存状態も素晴らしい(1枚目の写真)。執事は、階段を上がりながら、「ここにある肖像画は400年間続いたフォントルロイ一族のものです」と説明し、個々の人物についても由来を話す。最後に伯爵の居室の扉の前に着く。扉の右側の絵の前に立ったセドリックが、「これって…」と口ごもると、執事は「はい。この方が、あなた様のお父君です」と言う(2枚目の写真)。3枚目の写真は、これからセドリックが入って行く部屋の実際の状態(Hluboká城は、チェコの中でも最も美しいとされている)。映画では、ここが伯爵の居室になっている。
  
  
  

執事は 扉を開け、セドリックの正式名称を口上する。セドリックは1人で中に入って行く。すると、奥の方に座っている伯爵のところから、猛犬のドゥーガルが唸り声を上げて走ってくる。伯爵は、「ドゥーガル、戻れ」と言うが、セドリックは恐れることなく、ドゥーガルの首を抱いて 背中を撫でてやる(1枚目の写真、1つ前の節の現在の城の内部写真の、閉まった扉のすぐ左にあるのが、セドリックの左にある机)。セドリックは、そのまま伯爵のところまで歩いて行き、じっと対面する(2枚目の写真、先の写真の一番左端の机)。この場面では、2人は向き会っているだけで一言も話さない。原作では、長々と話をし、セドリックの「美点」に伯爵が感心するのだが、そうしたシーンは全く見られない。
  
  

2人は、すぐにディナーに向かう。伯爵は杖をついてはいるが、それほど歩きにくいわけではなく、原作と違い、セドリックも肩は貸さない。唯一 似ているのは、「足が悪いのですか、おじい様?」と訊き、「痛風だ。お前は、小さいから分からんだろう」と言われ(1枚目の写真)、「いいえ、おじい様。ボク、痛風には くわしいんです。友達で、りんご売りのおばさんが苦しんでました」と言い、治し方を伝授するところ。ディナーの部屋には、長いテーブルが置かれ、その両端に2人が座る。皿の右側には前菜用ナイフ、スプーン、魚用ナイフ、肉用ナイフが、左側には3本の対応したフォークが置かれている。それを見て少し考え込んだ様子のセドリックに、執事が、「フォークとナイフは、外側から。皿1枚につき、1組ずつです」と教え、伯爵から「差し出がましいぞ、ジェームズ」と叱られる。「お許しを、閣下」。原作にはない助言だが、セドリックが知らないとは思えないので、奇異な感じがする。
  
  

セドリックは、キャビアを食べながら〔如何にもロシア映画らしい〕、「おじい様、どうして冠をつけておられないの?」と訊く。これは原作と同じ。「ホッブスさんは、伯爵は冠をつけてるって」。「どんな冠だ?」。「たくさん、お持ちなの?」。「冠は王権の象徴だ。ホッブス氏は、国王について説明したのか?」(1枚目の写真)。伯爵の話し方は、原作の方がずっと優しい。ここから、どんどん原作と離れていく。「王様って、イギリスの大統領でしょ?」。「大統領はアメリカのものだ。どんな平民でも大統領になれる。国王は特別な存在だ。卑しい出の者は国王にはなれん」。「石鹸工場出身のジェレマイア・プールは? 生まれは貧しくても、学校をたくさん建てて、学校に肖像画がかかってます。新聞でも、とりあげられてますよ」〔Jeremiah Poolなる人物は存在しない〕。「で、今では何を?」。「王様です」(2枚目の写真)。伯爵は、「何だと?」と訊き返す。「ソーセージの王様」。その後、セドリックが服の採寸をし(原作にはない)、自分の部屋に行き、兵隊のおもちゃで遊ぶシーンがある(3枚目の写真)。ここは、原作に従っているが、会話は一切ない。
  
  
  

ここで、ようやく、伯爵とハヴィシャムの会話になる(1枚目の写真)。原作では、セドリックがロッジに泊まった夜の会話が、翌日の夜に延ばされている。しかも、そこで語られるのは、2つあるテーマのうち、重要度の低い方だけ。「わしが信じると思うか? あの女が、手当を拒否したなどという話を」。「事実です。アメリカで お会いした時に申されました」。「それで、どうやって暮らしていくつもりだと?」。「夫君の年金が 少しおありとか」。「わしは、一言たりとも信じんぞ。アメリカの下層民の話など。魂胆があるんだ。手当を、つり上げようとしとるだけだ」。最後の方の誹謗は 原作にはない。さらに、「あの女の影響は、フォントルロイ卿には有害だ。『愛すべき孫』のふりをさせておるのも、あの女の入れ知恵だ。わしの財産が欲しいだけだ」。この最後の言葉は、あまりにもひどい(原作との乖離が)ので、伯爵のその後の態度と整合性がとれない。そこに、セドリックが寝る前の挨拶に来る。セドリックは「お休みなさい、おじい様」と言った後、「おじい様、朝一番で ママを訪ねてもいいですか?」と希望する。しかし、伯爵は、「明日は、やることが一杯ある。言ったはずだ。日曜に行けと。あるいは、月曜に」ときっぱり拒絶する(2枚目の写真)。原作では、毎日会いに行けたので、大きな違いだ。
  
  

ベッドに入ったセドリックは、召使が蝋燭を持って行こうとしたので、「ろうそくは、置いておいて」と頼む(1枚目の写真)。召使が来ていた服を持って出て行くと、寂しくなったセドリックは、母と父の顔が2面に描かれたロケットを取り出し、恋しげに眺める(2枚目の写真)。原作では、最初のディナーの後に伯爵に誇らしげに見せるが、映画ではセドリックが一人で侘しく見ている。しかも、母だけでなく父の絵まである。しばらく見ていたセドリックは、ロケットを閉じると、ベッドから出て、蝋燭立てを持ち〔大きいのでかなり重い〕、寝室の隣のおもちゃ部屋の窓まで行くと、窓辺に蝋燭立てを置き、ガラスに顔をつけて母のロッジを見る(3枚目の写真)。ロッジの2階の1部屋には明かりが点いているのが見える。そして、母が 窓辺に蝋燭立てを置き、城の方を見ている姿が写る。このエピソードは原作にもあるが、窓辺に蝋燭を置くのは母だけ。映画の方が、セドリックの寂しさがよく分かる。
  
  
  

次のシーンは、全くの創作。翌日、セドリックは、使用人の食堂に行き、チューインガムを1枚ずつ全員にプレゼントする。そして、「もっと、噛んで」と食べ方を教える。「ただ、噛むだけですか?」。「そう、噛むだけ」(1枚目の写真)「だから、チューイング〔噛む〕・ガムって、名なの」。「それで、吐き出すんですか? こんな、甘くておいしい物を?」。「そう。でも、長い間 噛んでると…」。ここで、執事がうっかりガムを飲み込んでしまい、しゃっくりが止まらなくなる。「私は、どうなるので?」。「何も。きっと… ボクも、一度、呑み込んだから」。チューインガムは、1860年代にアメリカで初めて甘みのするものが誕生し、1880年代には普及したとあるので、セドリックが持っていったとしても不思議ではない。また、イギリスで普及するのは、国内生産が始まった1911年以降なので、召使が珍しがったのも当然で、矛盾はない。さらに、ガムを飲み込んでも、1個くらいなら、そのまま排出されるだけなので実害はない。そこに、突然、伯爵が現れる。「ジェームズ、卿は、使用人部屋で何をしとるんだ?」。驚いて、全員がすぐに立ち上がる。セドリックだけは、姿を確認してから立ち上がる(2枚目の写真)。執事:「お茶を一緒にと、望まれまして。アメリカの珍味を振舞って下さいました。食品であります」。セドリックは、「おじい様の分もあります。食べてみられます?」と訊くが、「使用人部屋から すぐに出るんだ」と叱られる。その後、外を見晴らす場所に連れて行かれたセドリックは、伯爵なるものの教えを受ける。「この庭園と この土地は、何百年もの間、フォントルロイ一族のものだった。これらすべてが、お前のものになる。わしの死んだ後だがな」。「じゃあ、ボク欲しくありません。おじい様に死んで欲しくないから」(3枚目の写真)。伯爵がどう感じたかは分からない。原作では、この最後の場面は、後半の第9章になって使われている。2人の間はもっと親密になっているので、伯爵の受け止め方も違っている。
  
  
  

その後、伯爵はセドリックを無蓋の四頭立ての馬車〔open carriage〕に乗せて、領内を見せる。「ここ、とても好きだな、おじい様。セントラルパークより、きれい。ママが、連れてってくれたの」。「ここは、イギリスでも最も大きくて美しい庭園なのだ」。馬車が走ってくるのを見ると、小作人たちが帽子をとってお辞儀をする(1枚目の写真)。次の場所では、小作管理人のニューウィックが、小作人のヒギンズから馬を取り上げようとしている。「馬を もらって行くぞ、ヒギンズ。小作料の支払が、滞っているからな」(2枚目の写真、矢印はヒギンズ、セドリックは馬車の中で振り返って見ている)。馬を取られたヒギンズは、荷車を自分で牽いて行く。セドリックは、「あの 貧しい人は、誰なのですか?」と伯爵に尋ねるが、「小作人の名前を覚えていると思うか? そのために、ニューウィックがおる」。そこに、馬を連れたニューウィックが近づいて来て、「ご機嫌よろしゅう、閣下」と挨拶する。「この方が、若様なのですね、閣下」。「その通りだ、ニューウィック。お前が、年取って血の巡りが悪くなったら、彼に首を切られるぞ」。最後の言葉は、この映画の伯爵らしく意地が悪い。
  
  

次も、映画独自のシーン。セドリックが、何と クレー射撃をしている。現在のクレー射撃は、散弾銃で素焼きの皿を撃つものだが、この時使われるのは立派な陶器の食事用の皿。皿を投げ上げるのは召使だ。1885年にこんなことが行われていたのか? クレー射撃の前身のトラップ射撃は18世紀にイギリスで貴族の遊びとして始まり、ターゲットは生きた鳥だった。1866年にイギリスで初めてガラス玉のターゲットが出現し、1880年にはオハイオ州で初めて石灰にピッチを混入して焼いたもの(クレー)がターゲットとなり、スポーツとして普及した。このシーンが現実的かどうかは、結局不明。セドリックはトライするが、銃を撃つこと自体始めてだろうから当たるハズがない(1枚目の写真)。そこに、執事が、教区牧師のモーダントとヒギンズを連れて現れる。そして、「モーダント牧師が、お目通りに」と言上する(2枚目の写真)。伯爵が、「やあ、モーダント。また、教会の修理の話かな?」と訊くと、牧師は、「壁は待ってくれます。人の方が大切です。この者はヒギンズです、閣下。ニューウィックが馬を取り上げました。今は、立ち退きを迫っております」。「それが、奴の仕事だ」。「でも、この者は、哀れにも、最近 妻を亡くし、5人の子供がある上、病を患っています。本来は、よき働き手なのです」。「よき働き手なら、庇護する必要があるのか? こうした言動は謹むんだな、モーダント」。それだけ言うと、伯爵は射撃に戻る。がっかりした一行は戻って行く。それを見たセドリックは、「おじい様、あの農夫が可哀想です」と同情する(3枚目の写真)。「お前だったら、どうする?」。「あの人の、馬や土地を取り上げないよう命じます。誰にでも、災難は起こります」。「災難だと、言うのか?」。伯爵は銃を渡し、「もし、うまく当てたら、お前の好きにしろ」と言う。セドリックは真剣に狙い、見事に皿をバラバラにする。原作では野球ゲーム、1936年版の映画ではおはじきになっていたが、ここでは皿撃ち。原作では牧師1人が来て、窮状を訴え、セドリックが牧師のいる前で同情し、牧師はそれに対し感激するが、ここでは帰った後。しかも、皿に当たらなければ、念願は聴いてもらえない。敷居はかなり高くなっている。
  
  
  

お許しをもらったセドリックは、城に戻るとニューウィックに手紙を書く(1枚目の写真)。文面を教えてもらったかどうかは不明。そして、書いた手紙を伯爵に見せる(2枚目の写真)。「4つ、間違っとる」。ここまでは原作とほぼ同じ。だが、その次の一言は原作になく厳しい。「家庭教師を付けるぞ。来月からだ。伯爵は、教養がないとな」(3枚目の写真)。伯爵は、隣にいたハヴィシャムに手紙を読ませる。「はいけい、ニューイック様。ヒギンズさんに、家と馬を帰してあげてください。どおか、願いを聞いてください。けいぐ。フォントルロイ」〔太字が間違えた部分〕。読み上げた後、ハヴィシャムは、「法律上は、何の問題もありません」と セドリックをカバーする。伯爵は、「わしを、慈善家に変えるつもりかな」と言い、「封印しろ」と命じる。
  
  
  

次のシーンも映画の創作だが、意図不明。セドリックは暖炉の上に飾ってある金とガラスで出来た帆船に興味をそそられる(1枚目の写真、矢印)。召使から、それが「フォントルロイ家の家宝です」と教えられたセドリックは、「『かほう』って何?」と訊く。「家宝と申しますのは、最高の宝物です。おじい様に お訊き下さい。これは、数百年前の秘宝。メアリー・ステュアート〔スコットランド女王、在位:1542~67年〕からの贈り物。貴重な歴史遺産です」。このあとのセドリックの言葉は、彼の人物設定からは信じ難い。「トーマス、触らせてよ」。「許されておりません」。「お願い、トーマス」。「とても、拒みきれませんな」。そう言うと、トーマスは手を伸ばして船を持とうとするが、金の台と船が一体化していると思い、台を握ったところ、その上に乗っていただけのガラスの船が倒れて床に落ち、粉々に砕けてしまう。2人が床に膝を付き、どうしようかと困惑していると、前方から伯爵の杖の音が聞こえたので、2人は顔を上げる(2枚目の写真)。近づいてきた伯爵は、何が起きたかを悟ると、杖を振り上げるが、セドリックは、「おじい様、悪いのは ボクです!」と言いながら、召使を叩こうとした杖を止める。「トーマスがダメと言ったのに、無理に頼んだんです」。止めたのはいいにしても、原因を作ったのはセドリックだ。伯爵は、「わしが、お前の年頃の時、これに触ろうとして、ひどく叱られた」と言うに留める。
  
  

その夜、意を決したセドリックは、窓から抜け出すと、木の枝にぶら下がって城を脱出する(1枚目の写真)。城門を抜け、森の中を沼に沿って歩く(2枚目の写真)。夜の森にはいろいろな動物がいてセドリックをひやりとさせるが、それでも何とかロッジに辿り着く。このシーンも、当然、映画の創作。原作では、毎日会えるので、わざわざ夜会いに行く必要などない。ロッジに着いたセドリックは、蝋燭の立っている2階の窓をノックする。外に出て来た母は、セドリックに「どうかしたの?」と優しく訊く。「ううん、何でもない。なかなか 会えなかったから」(3枚目の写真)「日曜になるまで、まだ1週間も」。「たったの4日でしょ」。「ここに1時間いたら、戻るからね」。「いいわよ」。このあと、2人はロッジの中に入る。「いないことが分かったら、心配かけるでしょ」。「大丈夫」。「なぜ、そう言えるの? 約束して。おじい様の許可なく 城を離れないって」。セドリックは約束する。
  
  
  

翌早朝、セドリックは母に連れられ、森の中を城に向かう。「おじい様は、とても親切なのに、変なルールがある。どうして、一緒に住めないのかしら?」。「ルールは、従うためにあるのよ」(1枚目の写真)。「そうなの?」。「こんな沼地、よく一人で来られたわね?」。母は、城門まで連れて来ると、「ここからは、一人で行くのよ。忘れないで。おじい様との約束のこと」とセドリックに言い聞かす。「分かったよ、ママ」。「約束は守ってね。日曜まで、1日減ったわね」。セドリックは広大な庭の中を走って自分の部屋に向かうが、その姿をバルコニーからドゥーガルが見ていた。犬は、バルコニーから伯爵が眠っているベッドまで行く。2枚目の写真は、Hluboká城内のPrincess Eleonoreの部屋。映画の中の伯爵は、実際にこのベッドに寝ている。犬に起こされた伯爵は、窓越しに戻ってきたセドリックの姿を見てしまう(3枚目の写真)。
  
  
  

伯爵は、朝食の時、さっそく意地悪を仕掛ける。予め執事に話す内容を知らせておいた伯爵は、「何か、知らせはあるか、ジェームズ?」と問いかける。「ご興味を惹きそうなものは、ございません。郵便の配達人の件を除きましては。閣下、彼の耳は、むく毛で覆われておりました」(1枚目の写真)。「その男は、夜、沼地を通ったのだろう」。「もちろん、何度もです」。「それで、説明がつく。夜、沼地を歩くと、恐ろしいことになるからな」。「そうでございますな。沼地の祟りは、すぐに 顕われますから。ヘンリーとスーは、夜、沼地で逢引きして以来、耳が毛深くなりました」。「そうか? 気付かなかった」。「剃ってるからでございます」。セドリックは、この作り話を聞き、真っ青になる。そして、盛んに耳の周りを手で探り、最後は、召使が持ってきたエッグカップ(ゆで卵)を乗せた大きな銀の盆に、自分の耳を映して見る(2枚目の写真)。すごく手入れの良い銀食器だ。「何を、見とるんだ」と伯爵に訊かれると、「別に… おじい様」と、どぎまぎしながら答える。以上は、原作にはない悲しくも愉快なエピソード。
  
  

セドリックの無断外出に罰を与えて満足した伯爵は、「バルコニーへ、行って見るがいい。その方が面白いぞ」と言う。また何か怖いことでも、とセドリックが慎重にバルコニーに出て行くと、そこには1頭の馬がいた。「おじい様、馬が見えます」(1枚目の写真、矢印)。「お前の馬だ」。伯爵から馬をもらうのは、原作と同じ。「乗馬服に、着替えて来るがいい」。大喜びで着替えてきたセドリック。馬丁から、「名前は、ハンニバルⅣ世です、若様」と教えられ、さっそく跨る。馬丁は、バルコニーに立った伯爵の前に馬に乗ったセドリックを引いて来る。セドリックは、嬉しそうに手を振る(2枚目の写真)。伯爵:「どうなっとる、ウィリアムズ? わしが用意した 乗馬服はどこにある? なぜ、アメリカの羊飼いの服を着とる? 国中の物笑いに、なるじゃないか?」。セドリックは、「これは、『物笑い』ではありません。西部のガンマンの衣装です。ホッブスさんが、独立記念日にくれたんです」と答える。しかし、その服は、どう見てもガンマンの服ではなく、アメリカ・インディアンの服だ。それに、セドリックは、なぜ すぐ馬に乗れたのだろう? ホッブスが乗馬服をくれたということは、ブルックリンで乗馬クラブにでも通っていたのだろうか? セドリックは、さらに、「おじい様、一人で乗り回していいですか?」と言い、馬を自由に扱う。伯爵は、「フォントルロイの血が流れとる。あの ぴんと伸びた背筋を見てみろ」とハヴィシャムに言う。ハヴィシャムは、いつも城にいるが、ロンドンの事務所がよほど暇なのか?。
  
  

セドリックは、ホッブス宛に手紙を書いている。「おじい様は、とても親切です。みんなに、好かれてます… 召使、小作人、犬のドゥーガル、ボクの馬。10の町より広い土地を持っています」(1枚目の写真)。ここで、場面がホッブスの店に変わり、手紙をディックに読んで聞かせている。「おじい様の お城にある部屋は… 想像できるか、ディック? 100部屋以上だと!」。「まさか!?」。「何に使うんだ?」。そして、最後を読む。「さようなら。大好きです。セドリック」(2枚目の写真)。そのあと、セドリックが正規にロッジを訪れる場面がある。母は、ピアノを教えていた〔生計のため?〕
  
  

別な日、セドリックは馬丁と一緒に遠乗りに出かける。すると、途中で足の悪い少年とすれ違う(1枚目の写真、矢印は杖)。セドリックは、馬丁に、「あの子の家、遠いの?」と訊く。「いいえ、1マイルちょっとです」。「でも、あの子には遠いね」。「それが人生です、若様」。次の場面では、ニューウィックが伯爵に1通の手紙を持って来る。そこには、「ニューウィック様。ヒギンズを助けていただき、感謝します。もう一つ、お願いがあります。ボクの馬ハンニバルⅣを、びっこの少年にあげて下さい。敬具。フォントルロイ」と書いてあった。それを読んだ伯爵は、面白そうにニヤリとする(2枚目の写真)。「どう致しましょう、閣下?」。「見なかったのか、ニューウィック? フォントルロイの署名を? 実行せよ」。「御意。あと一つ、閣下」。「何だ?」。「若様には、新しい馬を?」。「必要ない。自らの行動に責任を取らせねば」。原作では、体に合わない杖の代わりに、ぴったりの松葉杖をプレゼントする。これなら賛成できるのだが、馬をもらった少年は困ってしまうのではなかろうか? そもそも、馬に乗ったことがないだろうし、これほど足が悪くて安全に乗れるかも疑問。それに、馬小屋が要るだろうし、エサ代や削蹄代もかかる。この「原作からの突飛な変更」は、いただけない。セドリックは、愛馬に別れを告げる。「さよなら、ハンニバルⅣ」(3枚目の写真)「新しい ご主人に従って、助けてあげるんだ」。
  
  
  

セドリックが、馬の代わりに見つけたのは、城の正面扉の外にいた雑種の子犬(1枚目の写真)。さっそく抱きかかえて城の中に入ると、それを見た伯爵が「そのゴミは、何だ?」と訊く(2枚目の写真、犬を貶したというよりは、離れているので、何を持っているか見えなかったのであろう)。「ゴミじゃ ありません」と言うと、セドリックは、寄ってきたドゥーガルに、「新しい友だちだ」と紹介する。原作にはない。
  
  

伯爵は、執事に、「そろそろ、社交界にデビューさせよう。すべて 書き直した。奥方も娘も呼ばん」と言う。原作にある、華やかなパーティとはずいぶんと異なっている。伯爵は、正装用の白の絹のベストを着てみて、ボタンがはまらないことに気付く。「太ったとは 思わんのだが…」。「奇妙で ございますな。ボタンの位置を ずらします」。「お前にやる。ボタンも好きにしろ。新しいのを注文しろ。『紳士づら』連中は目ざといからな」。セドリックは、すぐそばで、その話を聞いている(1枚目の写真)。そして、いつもの食堂で男性だけを呼んで食事の会が催される。全員が着席していると、扉が開き、セドリックが執事に連れられてやってくる。伯爵は立ち上がると、「紳士諸君、わしの孫を 紹介させていだだきたい。わが後継ぎフォントルロイ卿です」と発言する。全員が扉の方を見る(2枚目の写真)。扉のところに立ったセドリックは、「初めまして、『紳士づら』さん」と挨拶する。伯爵が、招待客を軽蔑して使った言葉(フランス語の“fanfaron〔空いばり屋〕”)を、そうとは知らずにそのまま口にしてしまったのだ。ニヤリとしたのは、入口に立っていた召使だけ。列席者がセドリックに話しかける。「最近 イギリスに来られたそうですが、ご感想を、お聞かせ願えますか?」。「大好きです。特に、おじい様と会えて とても幸せです」。「将来はどうなさるお積りですか?」。「おじい様は、ボクが大きくなったら、貴族院に入れると」。「では、将来は、なるのですね。先程言われた… 本物の『紳士づら』に?」。セドリックは、素直に頷く。それを聞いていた伯爵の頬が 思わずゆるむ(3枚目の写真)。「何か、制定されたい法律でもございますか?」。「もう 決めてあります。廃止したいルールが… おじい様とボクが、ママと分かれて暮らすことです」(4枚目の写真)。伯爵は、全員が振り返って自分を見たので、渋い顔になる。
  
  
  
  

そこに、執事が急用でやってきて、「ハヴィシャム氏が、至急 お会いになりたいそうです」と告げる(1枚目の写真)。「今か?」。「一刻の 猶予もと…」。伯爵は、やむを得ず、会食の席を立ち、別室に向かう。ハヴィシャム:「悪い知らせです。ご子息が2人おられましたでしょう。今日、突然申し出がございました。ミナと申す女性から。下品で押しの強い女で、書類を持っておりました… あなた様の ご長男と結婚したという。肖像画の元となった写真に映っていたのが、その女です」。「飲んだくれのチャールズが、淫らな女と密かに結婚していても、不思議はない」。「問題は… 子供が いたのです。男子で、マキシミリアンと申します。大英帝国の法律では、その者が後継ぎとなります。遺憾ながら」。伯爵は、「気でも狂ったか、ハヴィシャム」と驚く(2枚目の写真)。「ミナは、明日、会いたいと申しております」。伯爵は、セドリックを明日、ロッジに行かせ、秘密裏に会うことにする。
  
  

そして、翌日、派手な出で立ちをしたモナと、自称息子のマキシミリアンが城に乗り込む(1枚目の写真)。ミナは、「すべて、順調に行けば、あたい達、幸せな家族になれる」とマキシミリアンに話しながら伯爵の待つ部屋に入る。そして、伯爵に 「唯一の後継ぎのマキシミリアンは、立派な相続人になるわね。老いの身には嬉しいでしょ」と言って、マキシミリアンを紹介する。マキシミリアンは、「じい様、おいら達といりゃ、安心っすよ」と、如何にもロンドンの不良少年らしい言葉で挨拶する(2枚目の写真)。その物言いにカチンときた伯爵は、「いいか、お前、部屋を出てドアを閉めろ」と言って、杖で体を押しながらマキシミリアンを部屋から閉め出す。マキシミリアンは、部屋に入ろうとした召使に、「なあ、水を飲ませろや」と声をかける。召使が水の用意をしている間に、マキシミリアンは、召使が仮置きした皿に乗っていた箱から、葉巻を2本素早く抜き取る(3枚目の写真、矢印)。一方、伯爵は、ミナに対し、「もちろん、お前さんには収入を確保してやる。だが、変な気は起こすな。わしが 生きておる限り、城に入れる気はない」と釘を刺す。会見が終わり、引き揚げる時、2人きりになったミナは、マキシミリアンに、「条件が一つ。口は閉じてるんだよ」と命じる。「何でさ? じいさん喜んだろ?」。「逆効果」。原作では、母子のいる村の宿に伯爵が会いに行く。子供は、ディックの兄の子なので、ロンドンの不良ではない。ここも、大幅な変更にされている。
  
  
  

ディックがホッブスの店で、ハエを叩くアルバイトをしている。しかし… 「これ、大変な仕事だぜ、ホッブスさん。ハエ10匹で、1セント〔30円〕は安すぎる。取り決めを変えたいな」。「ハエを100匹捕まえりゃ、大層な実入りだぞ。実入りがいいから、お前を雇ってやったんだ」。ディックは、丸めた新聞紙で10匹目を叩き殺し、「やった! 10匹目だ。俺の1セントは?」と訊く(1枚目の写真、矢印はハエを叩くための新聞紙)。「1セントだと? まず、ハエを数えよう」。ケチなホッブスは潰れたハエを数え始める。そのうち、それがイギリスの新聞だと気付く。「アブラハム、何でウチの店にイギリスの新聞があるんだ?」。「コーヒー挽きが、くるんであったんです」。「どれどれ…」と言いながら、新聞を開いていく。すると、一面にでかでかと伯爵とミナの写真が出ている(2枚目の写真、矢印は潰れたハエと血)。「何と! こりゃ驚いた!」。「どうしたの、ホッブスさん?」。「わしがか? お前には関係ない」。ホッブスは、ディックにそう言うと、アブラハムに、「携帯用コンロの件で、ニューヨークに行くぞ」と声をかけ、出かける用意をする。原作では、先に書いたようにミナはディックの兄の妻だったので、新聞でそのことを指摘するのはディック。だから、イギリスにも2人で一緒に行くが、映画では、ミナはホッブスの元妻という、「あり得ない」設定。第5節で、アブラハムがハヴィシャムに、「奥さんがイギリス人で、夜逃げしたんです」と説明したのは、このための伏線。
  
  

伯爵がセドリックに悲しい知らせを話す場面。「人生は分からんな。頂点にいたと思ったら、一歩進んだ途端 底まで真っ逆さま。あいつらが訪ねて来てから、悲しい11時間じゃった」〔この「人生」とは、伯爵のこと〕。「おじい様、聞いてもいいですか?」。「いいとも」。「ボクがフォントルロイ卿でないなら、嫌いになる?」。「バカを言うでない。お前は大切な孫だ。この先もずっとだぞ」。「それなら、伯爵になれなくても かまわない」(2枚目の写真)。「わしを、泣かせるんじゃない」。この部分、台詞は違うが、内容は原作を踏襲している。
  
  

そして、「1ヶ月後」と表示され、ここから映画の最後まで、原作とは全く違う内容となる。まず、ロッジで、セドリックと母が楽しく話し合っていると(1枚目の写真)、そこに、何とミナがやって来る。そして、2人の前で、「ここに 来たワケはね、現実を、あんたの子に知って欲しかったからよ」と言い、持ってきた新聞を見せる。「ここに、あんたの話がのってる」(2枚目の写真)「どの新聞も、あんたのことを詐欺師でペテン師だと、書いてるわ。伯爵さんは、後継ぎに大満足で、間違いを正してる最中。知らないの? 今、伯爵さんは、息子に、城や庭を見せてる。これでやっと、盗まれてたものが元通り。そうそう、あんたの子が入ってた部屋は、今やマキシミリアンのもの」(3枚目の写真)「これで、はっきり分かった?」。ミナは、こう、嘘をまき散らして帰って行く。
  
  
  

そして、ミナとマキシミリアンが、伯爵に呼ばれて城に入って行く。ミナは、「わしが 生きておる限り、城に入れる気はない」と言われたのに、呼ばれたことから、すっかりその気でいる。マキシミリアンに、「『鉄は、熱いうちに打て』ね〔さっき、セドリックたちを脅したことを指す〕。今夜、すべてが決まる。この城でね」と言う。「全部、おいらのモンだ」。伯爵の待つ部屋に入って行くと、ハヴィシャムが満面の笑顔で、「これは、いいところに。お迎えをと、思ってたんですよ」と現れる。ミナ:「用意周到なのね。あたいの書類、完全だったでしょ?」。「疑問にすべて答えられる来賓がおられます」。そして、そこに姿を見せたのはホッブス。「やあ、ミナ。相変わらずだな」。マキシミリアンは、不安げに「誰?」と訊く。ハヴィシャム:「母上の、ご主人ですよ」(1枚目の写真)「正しくは、前のご主人ですかな。正確には、お二人の結婚は、夫人が出奔した時点で解消しました」(2枚目の写真)。ハヴィシャムは、ホッブスに、「それで、よろしいですね?」と訊く。「その通りです、弁護士さん。ちょうど7年前、わしは裏切られた」。「すると 次の疑問が生じます。あなたが、どうやって9歳の息子を持たれたか。7年前とすれば、変ではありませんか?」。ミナには答えようがない。そこで、ハヴィシャムは、標的をマキシミリアンに向ける。「では、マキシミリアン君に質問があります。スコットランド・ヤードの友人によれば、君のことで、いろいろと噂を聞いているとか」。マキシミリアンは、ミナを責める。「あんた約束したろ? 豪華な食事、ロンドン一の服を着て、馬車に乗って観光できるって。嘘っぱちかよ!?」。ハヴィシャムは、皮肉たっぷりに、「健全な批判力ですな」と言い、「もし、ロンドン警察のお世話になるのが お好きでないなら、質問にお答えください」と告げる。マキシミリアンは、ミナに向かって、ミナが言った言葉をぶつける。「『みんな、あんたの物よ。豪華に暮らせるわ』」。そして、ハヴィシャムには、「何でも答えるよ」と言う。「君の本当の両親は?」。「知らねぇ。孤児だから。こいつ、ヒューに、ニセの書類を作らせてた。おいらが、借金の取立てに寄った時さ。以来、うるさくせがむんだ。約束しろ、ピッタシだから若様のフリしろ、って」(3枚目の写真)「ストランド街の夜の女のくせに。ごめんよ、閣下。ほんと悪かった」。ハヴィシャムの皮肉な物言いは続く。「完璧な説明でございました」。「帰っていい?」。マキシミリアンの後ろに立った執事は、「この上なく見事でしたよ」と言い、帽子とコートを着せて、部屋から出て行かせる。この場の主役はミナではなくマキシミリアンだ。
  
  
  

伯爵は、ミナを追い出すと、執事に馬車の用意をさせる。「セドリックの母君を訪問する」。そのあと、ホッブスが、独立戦争の話を大声でしながら、たくさんの肖像画の並んだ通路を歩く。しかし、伯爵には、そんな話など耳に入らない。途中で、「メロン、良かったな。今から、ノラ夫人に会いに行く。一緒に来るか?」と声をかける。メロンが嬉しそうに寄って来て、伯爵が、「何の話でしたかな?」とホッブスに訊くと、ホッブスは、自分の父が大統領から名誉負傷章を受けた時に話した言葉を引用する。「『あんな奴らに やられたのが 恥ずかしい』」(1枚目の写真)。ホッブスは、その前に、「怯えた敵が、わが軍の兵士の足に口づけした話」をしていたので、「奴ら」とは弱いイギリス兵を指すのだが、話を聞いてなかった伯爵には何のことか分からない。「『奴ら』とは、誰のことかね? さっぱり分からんが」と無下に言う。恩のあるホッブスに対して、伯爵の態度は冷たすぎる。その時、ロリデイル夫人の訪問が告げられ、伯爵はさっさと降りて行き、ホッブスはメロン夫人と残される。メロンは、「あなたは、守護天使ですわ」とホッブスに感謝し(2枚目の写真)、ホッブスは「そんな、ミセス・メロン」と照れる。「『ミス』よ。ホッブスさん」。メロン夫人がホッブスに気のあることが後で分かる。幸せムード一杯のところに、沈痛な顔をした執事が現れ、「お姿が見えません。荷物をまとめて立ち去られました」と報告する。「あなた様への お手紙です」(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

それは、セドリックが書いた手紙だった。映画では、セドリックが手紙の言葉を読み上げる声が流れる。「おじい様。これ以上、迷惑はかけません。家を出ます。心からの感謝とともに。孫のセドリック」。その際の映像は、母子が馬車に乗っている姿(1枚目の写真)。ホッブスは、メロン夫人に、「一体、どうなる? 詐欺師を暴いたのに非運は終わらない」と言い、メロンは、「心配ないわホッブスさん。世界一の警察がいますもの」と安心させる。しかし、1週間か、それ以上経過した後に城を訪れた警察は、「全力を尽くしておりますが、未だ不明です。しかし、お二人とも、まだ国内におられます。アメリカ行きの船は、徹底的に捜査しております」としか報告できない。伯爵は、「随分、時間が経っとる。国勢調査でも できるくらいの時間だ」と不満をぶつける(2枚目の写真)。「信じて下さい。我々に不可能はありません」。しかし、伯爵は、警察は当てにできないと結論し、自分流に捜すことにする。
  
  

その結果は、すぐに実った。ロンドンの市内で、新聞売りの少年が、「新聞だよ! 大事件だ! 伯爵の後継ぎが行方不明だ! 莫大な報奨金だよ!」と叫んでいる。新聞を読みながら歩いている紳士の前方から、黒眼鏡をかけた盲目の少年が、「めくらに、お恵みを」と言いながら杖を突きながら歩いて来る。新聞売りの叫んだ内容に興味を持った盲目の少年は、黒眼鏡を上げると、すれ違いざまに紳士の持っていた新聞を読む(1・2枚目の写真、矢印は、物乞い用の帽子)。その偽盲目の物乞いは、マキシミリアンだった。報奨金の5000ポンドは、原作で、セドリックの父が大尉の地位を売って得た4800ポンドに近い。“Pounds Sterling to Dollars: Historical Conversion of Currency” によれば、1885年の5000ポンドは2019年の66万ドル、7000万円強という大金。換算が正しいとは言えないが、膨大な金額であることは確か。そうでなければ、マキシミリアンは飛びつかない〔詐欺を働いた城に行けば、何をされるか分からない〕
  
  

彼は、城まで行き、伯爵に面会する。「おいらが、ここを出てから、馬車に拾われたら、二人が乗ってたんだ」(1枚目の写真)「港を目指してた。帰国するためだよ。3等の切符なら買える、と甘い期待を…」。そこで、道をとぼとぼと歩いているマキシミリアンの脇で馬車が停まり、ドアが開くと、セドリックが笑顔を見せる映像(2枚目の写真)に切り替わる。2人は、お互い一度も会ったことがないので、この時点では、相手のことが分からない。マキシミリアンは、新聞の一面に大きく載っていたセドリックの写真を見て、初めて、その時乗せてくれたのがセドリックだと気付いた。「で、助けてやることにした。博愛主義者だからよ。で… 金は… いつ、払ってくれるんだい?」。「続けろ」。
  
  

「港にダチがいるから、探ってみたら、次の出港は 何と3日後ときた。ところが、突然…」。ここで、再び、セドリックと母の映像になる。「出会ったんだ。旧知の船長とやらに。アメリカ行きの船の。それも、1時間で出港だ。いいかい閣下、すげぇ幸運だぜ。ロハだもんな。アメリカまで幾らするか知ってるかい?」(1枚目の写真、母がマキシミリアンに渡しているのは、お礼?)。船長:「問答無用。お金など受け取れません。ご主人は、尊敬すべき友人でした」。そして、セドリックを見て、「その顔と目。生き写しだ」と感激する(2枚目の写真)。セドリックの父に関しては、3節目に伯爵が肖像画を見て、「氷の海から如何に乗組員を救い、船長の本分をまっとうしたか」と述べたが、こういう人物設定だから、この船長も喜んで乗船させたのであろう。ただ、疑問が1つある。当時の大西洋横断の蒸気帆船はリヴァプールから出ていたので、馬車もリヴァプールに向かっていたと思うが、ロンドンっ子のマキシミリアン(まだ子供)にリヴァプールに知り合いがいたのだろうか? 疑問はさて置き、話を終えたマキシミリアンは、「これで終わり。金、くれよ。約束だろ。ほんとに、5000ポンドも?」と訊く。ハヴィシャムは、小切手を持ってくると、「そう興奮なさらずに、お体に悪いですぞ」と皮肉を言うと、小切手を渡す(3枚目の写真、矢印)。マキシミリアンの役は、靴磨きのディックより遥かに重い。
  
  
  

一方、こちらはブルックリン。セドリックはディックと再会を果たす。「寂しかったぞ、セドリック」。「寂しかったよ、ディック」。「お城や、召使は、どうしたんだい?」(1枚目の写真)。「ボクのものじゃなかったんだ」。「二度と、アメリカを離れない?」。「絶対」。城では、伯爵が大きな地球儀を見ている(2枚目の写真、矢印)。最初の頃 紹介したHluboká城の写真にも、地球儀が2つはっきりと映っている。
  
  

ある日のこと、セドリックがディックの代わりに靴を磨いていた。ディックの友だちがそれを見て、「ここで何してる? ディックは?」と訊く。「ディックの場所取りさ」(1枚目の写真)「今、靴ブラシを、買いに行ってる。ここは、とってもいい場所だからね。絶対、離れられないんだ」。その時、新しい客が靴を台に載せて座る。靴を見たセドリックは、「上等な靴ですね。靴には詳しいんです」と言って、靴を磨き始める。すると、客が、「靴磨きが、随分 上手になったものだ」と声をかける。びっくりしたセドリックが顔を上げると(2枚目の写真)、そこには伯爵の顔があった。「我が愛しのフォントルロイ卿」(3枚目の写真)。
  
  
  

伯爵の目線に合わせて、セドリックが振り向くと、そこには、バラの花束を抱えた母がニッコリと笑って立っていた。横には、腕を組んだホッブスとメロン夫人もいる。セドリックは、嬉しそうに見上げる(1枚目の写真)。靴磨きのイスから降りた伯爵はセドリックを抱き寄せ、母が、ぴったりと寄り添う(2枚目の写真)。このシーン、会話は一切ない。最後は、3人(伯爵、セドリック、母)を乗せた四頭立ての白馬が牽く無蓋の馬車が城に向かって行く(3枚目の写真)。
  
  
  

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